※この記事は2015年に乳がんが肺転移をした当時を振り返っています。現在は両肺の腫瘍を手術で切除して治療は小休止中です。
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もう無理だ
頻繁に眩暈を感じるようになり、真っ先に思い浮かんだのは『脳転移』
早速CT検査をしてもらったものの、脳の異常はナシ。
この時、しじーみさんはハッとしました。
私、自分のキャパを超えてしまったんだ・・・と。
同病の方のブログを読むと、ドセタキセルでの治療を受けながら仕事をしている人は沢山いる。
なのに自分はできないなんておかしい。
根性なしだ!
・・・そう自分を責めましたよ。
でも、無理なものは無理。
このまま現状を続けていても、悪循環に陥るだけ。
再発治療は一生もの。
治療を続けていくためにも、一旦ここで舵を切りなおそう。
私は職場に職場に退職願を伝えました。
職場に退職願
思い立ったら吉日で、脳のCT検査を受けて直ぐに職場の上司に退職の意思を伝えました。
上司はビックリして「少し休みを取って様子を見たらどうか」とか「数カ月休職して復帰はできそうか?」等、何とか仕事を辞めずに治療を続ける方法を提案してくれました。
しかし私にはもう仕事を続ける気持ちがすっぱりとなくなっていたので、どの提案にも「退職します」を言い続け(笑)、退職が決まります。
初発の乳がんの時も、再発が分かった時も、抗がん剤を受けながら仕事を続けられるようにサポートしてくれた職場。
今振り返っても、恵まれた環境でした。
肺転移が分かって抗がん剤治療を開始して1年6ヵ月。
私は無職となりました。
両親に報告
さて、いつでも気が重いのが親への報告。
再発については抗がん剤治療が始まる前に報告しました。
が、今回の退職についての報告は、退職が決まってから報告しましたよ。
何故なら、絶対に「仕事は続けなさい」と言われるのが分かっていたから。
初発の時も再発した時も、両親は「仕事は続けて」というスタンスでした。
そらそうだ。
独身でアパート暮らししていた私が肺転移したうえに収入までなくなったら、頭抱えてしまうと思う。
仕事を続けることは、両親にとって少しだけ安心材料でもあるんだよね。
でも私はもう心身ともに無理だと感じていて、心はポッキリと折れてしまってる。
このまま仕事も治療も続けても、どんどん苦しくなるだけ。
なので両親には「仕事を辞めてきた」と事後連絡しました。
両親は「えっ!?」って驚いてたけどね。
父親には「勝手に1人で決めるな」と注意されたけど、もう40代ですからね。
自分の人生には自分で責任を持たねばなりませんよ。
親にとっては何歳になっても子供は子供。
まして独身だからその思いが強いんだろうなぁと思う。
私はダメ人間だなぁ
仕事を辞めると決めた時、自分はヘタレだなぁ。
ダメな人間だなぁ・・・なんて思いました。
他の人は両立できてるのに。
辞めたばかりの時はそんなことを度々思ったけど、今の私はそれで良かったんだと思ってます。
やっぱり自分と他人は違うもんね。
こうして7年間も治療を続けてこれたのは、自分のペースを守ってきたからかなぁとも思います。
あとね、仕事しながら抗がん剤を受けてみて良かったと思う。
だって1年半も両立できたんだもん。
この上手くドセタキセルが効いて消えてくれてたら、そのまま仕事続行できてたもんね。
残念ながら、私はちょこっとだけ小さくすることはできたけど、消す事はできなかったし、治療を続けるとぐんぐん成長するしたので治療が止められなかったんですよね。
他人は他人。
自分は自分。
当たり前のこと、忘れないようにしよう。
続きます。
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